徒然草について

このブログの名前に「徒然」とつけていますが、その理由は二つあります。一つは、徒然草でよく舞台として登場する仁和寺や双が丘が地元で馴染み深かったこと。もう一つは、有名な序段の「つれづれなるまゝに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」がなんとなく最近の気分にぴったりきたことです。

徒然草をネット検索してみると随分沢山の現代語訳があります。そういえば原文は長い間見たことがありませんでした。ぱらぱら眺めていると、その中に「何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の匠の造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。」という第二十二段があり、「昔は良かった」というのは大昔からの真理のようです。

アーキテクチャやモデリングでも「古き世のみぞ慕はしき」(抽象レベルを上げてお絵かきをするするよりテキスト指向の美しいコードが良い?)と言われそうです。規模の問題があるので、そう単純な話ではないでしょうが。

ところで、技術の進歩に関して時々「以前同じ議論をした気がする」ということがないでしょうか?私でも何度か体験しています。どうも技術はスパイラル状に進化(なら良いのですが単なる変化かもしれません)していて、数年すると別の用語を使って何年か前と概念的に同じ議論をしていることがあります。米国人の知り合いと雑談していた際、彼は今やっている議論は6度目だと言っていました。スパイラルでも上昇すれば良いのですが、時には少し下に落ちて回ってくることがあります。何しろ急に新しい3文字熟語が現れて、過去を捨ててその世界で全部を再整理しようとするためでしょう。やはり過去の技術や議論など十分に勉強しておく必要があるということでしょう。そういう意味では、兼好法師の時代から人間は(日本人だけでしょうか?)何も変わっていないのかもしれません。

徒然草について

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